古武術鍛練道場
錬誠会

入門者募集!見学など随時受付中!

当道場では、居合術、抜刀術、剣術を主軸に、護身術としての体術、杖術、さらには弓術や馬術まで、多岐にわたる武術を総合的に学ぶことができます。
単なる型稽古に留まることなく、「実際に斬ることのできる居合」を追求し、実戦を想定した稽古を重視しています。古来より伝わる身体操作の術理を深く探求することで、力任せではない、理にかなった技を習得。技の習得を通じて、心身を鍛え、真の武士道を探求していきます。
日本刀の扱い方から、いざという時に身を守る護身術、そして弓術や馬術といった幅広い分野まで、あなたの興味や目標に合わせて、経験豊富な師範が丁寧に指導します。
初心者の方から、さらなる高みを目指したい経験者の方まで、誰もが安心して稽古に励める環境です。興味を持たれた方は、ぜひ一度、当道場へ足をお運びください。

私たちと一緒に、居合の奥深さに触れ、夢中になって稽古を楽しみませんか?

これは編集画面用のサンプルです。

「プレビュー」から実際の見た目をご確認ください。

「夢中に勝る上達なし!」 を合言葉に、一人ひとりが自分のペースで、そして何よりも楽しみながら上達していくことを大切にしています。
刀を振る爽快感、技が決まった時の充実感、そして仲間と共に汗を流す一体感。
居合は、あなたの好奇心と探求心を刺激し、きっと新しい自分を発見させてくれるでしょう。

居合術は、日本刀を用いた古来の武術でありながら、現代を生きる私たちに多くの学び与えてくれます。
剣道のように打ち合うことはなく、仮想の敵を想定し、ただ一人、刀を抜く、斬る、納めるという一連の動作を繰り返します。
一見地味に思えるかもしれませんが、そこには奥深い世界が広がっています。
「難しい」 と感じることもあるかもしれません。
しかし、夢中になって取り組むことで、壁を乗り越える喜びを知り、着実に成長できます。
老若男女問わず!初心者の方も大歓迎です。
武道の経験がない方、体力に自信がない方もご安心ください。それぞれのレベルに合わせて経験豊富な指導者が丁寧にサポートしますので、安心して一歩を踏み出してください。
  
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尾張関口流居合術兵法 錬誠会
当道場では、居合術・剣術・抜刀術を稽古の主軸とし、それぞれの武術の奥深さを追求しています。
また、稽古はそれだけに留まりません。日常生活でも役立つ護身術として、
杖術や体術も総合的に学ぶことができます。

さらに、希望者には弓術・和式馬術・流鏑馬といった、より高度で特別な技術を学べる特別講習も
開催しています。

教授する武術

《居合術》
仮想敵を想定し帯刀した状態より、鞘から刀を抜き放つ動作で相手に一撃を与え、続く太刀捌きでさらに攻撃を加えたのち、血振るい残心、納刀するに至る型・技術を中心に構成された日本の武術である。鞘から抜いて構えた状態で開始するのが剣術、鞘に収まった状態から開始するのが居合術です。

当流は伝書、口伝で伝えられてきた技に更なる研究編纂を加えより実戦的な居合を稽古しております。稽古を通して実生活でも活かせる身体操作と軸の立った正しい姿勢を身につけ己を鍛えます。

《剣術》(組太刀)
木刀を使い、仕太刀と打太刀に分かれて実際に打ち込み、受け流すことで、単なる型の習得に留まらない、生きた技術を身につけます。組太刀の真髄は、仮想の敵ではなく、目の前の相手と向かい合うことにあります。これにより、間合いの取り方、相手の動きの読み方、そして一瞬の駆け引きを肌で感じ取ることができます。攻防一体の動きや、相手の意図を察する洞察力が養われ、実戦に即した身体操作と精神的な鍛錬が可能です。攻防の中で生まれる真剣なやり取りを通じて、剣術の奥深さを知り、共にさらなる高みを目指しましょう。

《試斬》(抜刀術)
毎月試斬講習会を開催しています。単に畳表を斬ることを目的としているのではありません。
武術としての試斬を徹底的に追求し、純粋に技を修練し、極めることを心掛けています。この「斬り稽古」では、形だけでは気づきにくい刃筋の狂い、力の伝え方、体の軸のブレなどを、実際に畳表を斬ることで明確に把握し、その場で修正していきます。五感を使い、真剣の重み、斬れる感覚、そして自身の体の動きすべてを研ぎ澄ますことで、より実戦に即した感覚を養うことができます。

《杖術》
杖術は突けば槍、打てば棒や太刀、払えば薙刀のように使うことが出来、多くの武器と違って両方の端が使え、さらに手の位置の調整によりどんな間合いでも有効的に戦える武器です。突き、払い、打ちを左右等しく繰り出すことで合理的な身体運用を目指します。また、持ち手の幅を変えながら杖をすべらせて遣うことで、相手との間合いを詰めることも広げることもでき、自在に攻守を変化させ千変万化の技を習得します。身体を柔らかく多様に使うための全身運動が必要ですので健康法としても効果的です。

《柔術》《体術》
無手あるいは短い武器による攻防の技法を中心とした稽古にも力を入れています。これは、単なる格闘技ではなく、護身として自身の身を護ることを最も重視しています。力で力に対抗するのではなく、柔らかな力の使い方を学びます。相手の力を利用し、いかにして体捌きを駆使して身を護るか、そして戦闘技術として鍛錬するかを追求します。体捌き・崩し・極めといった基本を徹底的に習得することで、護身術としての実用性を高めるだけでなく、これらの技術は居合術や剣術にも活かされるよう、総合的な武術の稽古を取り入れています。

《弓術》
武射系は、弓術の中でも特に実戦を重視した技術体系を指します。敵を倒すための効率性や威力、そして瞬時の判断力が求められるのが大きな特徴です。現代の弓道が精神修養や礼儀作法を重んじる「礼射(れいしゃ)」の要素を強く受け継いでいるのに対し、武射はあくまで武器としての弓の性能を最大限に引き出すことに重点を置いています。

《和式馬術》
和式馬術は、日本の風土と日本在来馬(和種馬)の特性に合わせて、武士たちによって独自の発展を遂げた伝統的な騎乗技術です。西洋馬術とは異なる独特の乗り方や馬具が特徴で、古くから武芸として重んじられてきました。

《流鏑馬》
疾走する馬上から弓矢で的を射る日本の伝統的な武術である。
激しく揺れる馬上で、どのように重心を保ち、どのように体幹を安定させるか。
狙いを定める一瞬にいかに無駄なく、力強く、そして正確に矢を放つか。
これらはすべて、研ぎ澄まされた身体感覚と、日々の厳しい鍛錬によって培われる「身体操作能力」に裏打ちされています。

武道と武術:その本質的な違い

現代日本において「武道」という言葉は広く浸透していますが、
古来の「武術」とはその性格を大きく異にしています。

『武術』元来、武術は戦場で生き残るための実戦的な技術体系でした。その目的は相手を制し、時には命を奪うことであり、徹底した合理性と効率性が追求されました。技の一つ一つは、実際の戦闘状況を想定して練り上げられ、心身を極限まで鍛え上げることで、わずかな隙も許さない絶対的な強さを目指しました。流派ごとに様々な「術」(技法、奥義)が存在し、それらは門外不出の秘伝として師から弟子へと伝えられました。

『武道明治以降、国家主義的な思想や教育の一環として再編された武術が「武道」へと変化しました。戦後の混乱期を経て、武道は「心身の鍛錬」「人間形成」「礼儀作法」といった教育的、精神的な側面に重きを置くようになります。競技化が進み、特定のルールの中で優劣を競うスポーツとしての側面が強調されるようになりました。これにより、かつて武術が持っていた実戦性や、相手を確実に無力化する「術」は、形骸化あるいは失われていったと言えるでしょう。

武道ではなく武術を‼失われた「術」を求めて

「失われた術」とは、単に過去の技法が忘れ去られたというだけでなく、武術がその本来の目的であった「実戦」から離れる過程で、見過ごされ、軽視されてきた本質的な要素を指します。
具体的には以下のような点が挙げられます。

《実戦における即応性》
型稽古は重要ですが、実際の戦闘では常に状況が変化します。
相手の動き、間合い、力の流れを瞬時に見極め、最適な「術」を繰り出す能力は、現代の武道では軽視されがちです。

《身体運用の奥義》
古流武術には、現代の解剖学や運動生理学では説明しきれないような、高度な身体運用法や身体感覚が存在しました。
重心の操作、力の伝え方、無駄を削ぎ落とした動きなどは、文字通り「術」と呼ぶにふさわしいものでした。

《相手を制する「間」と「機」》
物理的な技だけでなく、相手の心理を読み、一瞬の隙や機会(機)を捉え、最適な間合い(間)で攻撃を仕掛ける能力は、武術の真髄でした。これは単なる技術ではなく、研ぎ澄まされた直感と経験に裏打ちされたものです。

《状況判断と応用力》
複数の敵、不整地、武器の有無など、様々な状況下での対応能力も「術」の一部でした。
型に囚われず、状況に応じて柔軟に技を変化させる応用力が求められました。 


                                   「術」を求める意義 

失われた「術」を求めることは、単なる古き良きものへの郷愁ではありません。
現代においてその意義は多岐にわたります。

【武道の本質的な再認識】
「術」を追求することで、武道が本来持っていた実戦性や身体操作の深淵さに触れ、形骸化された稽古に新たな意味を見出すことができます。

【身体能力の限界への挑戦】
古流の「術」には、現代人が忘れかけている身体の可能性が秘められています。それを探求することで、より効率的で、より強力な身体運用法を習得できる可能性があります。

【自己防衛能力の向上】
平和な時代だからこそ、いざという時の自己防衛能力の重要性は増しています。「術」を学ぶことで、万が一の事態に備える実用的な力を養うことができます。

【精神性の深化】 
「術」の探求は、単なる技術習得に留まらず、自身の内面と向き合い、集中力、洞察力、決断力といった精神性を高める道でもあります。 
  
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居合術は、単に刀を抜く技術だけでなく、心身を鍛え、究極的には争いを避けるための護身術としての側面が非常に強いです。

■精神の鍛錬と冷静な判断力:
居合は集中力と精神統一を非常に重視します。
稽古を通じて、突発的な状況にも動じない冷静な心を養うことができます。
護身においては、パニックにならず、状況を正確に把握し、適切な判断を下すことが何よりも重要です。

■危険察知能力の向上:
常に周囲に気を配り、不測の事態に備える心構えが身につきます。
これは「残心(ざんしん)」という考え方にも通じ、稽古で培われる意識が、実生活での危険を未然に察知する能力を高めます。

■身体操作と重心の安定:
居合の動きは、無理のない自然な身体操作と、常に安定した重心を保つことを目指します。
これにより、いかなる状況でも体勢を崩さず、素早く反応できる身体能力が養われます。
これは、例えば不意に突き飛ばされたり、不安定な場所で襲われたりした場合にも有効です。

■間合いと距離の認識:
居合の稽古では、相手との適切な「間合い(まあい)」を常に意識します。
これは、実生活において危険な人物との間に適切な距離を保つという護身の基本に直結します。
不用意に近づかず、また、近づかれすぎないことで、多くのトラブルを回避できます。

■「抜かない」ための鍛錬:
居合の真髄は、実は「刀を抜かない」ことにあると言われます。
刀を抜くことは、最終手段であり、居合の鍛錬を通じて、争いを避けるための心構えや、相手を傷つけずに状況を収めるための精神的な強さを培います。
これは、護身の究極の目的である「無事に過ごす」ことに繋がります。

■万が一の際の対処能力:
もし万が一、物理的な危険に直面したとしても、居合で培った身体能力や精神的な強さは、相手を制する、あるいは危険から身を守るための素早い動きや判断に繋がります。

●居合術は、単に刀を扱う技術としてだけでなく、日常生活における心身のあり方そのものを護身に繋げる武道と言えるでしょう。

尾張 関口流抜刀術 兵法 錬誠会
当道場では、居合術・剣術・抜刀術を稽古の主軸とし、それぞれの武術の奥深さを追求しています。
また、稽古はそれだけに留まりません。日常生活でも役立つ護身術として、
杖術や体術も総合的に学ぶことができます。

さらに、希望者には弓術・和式馬術・流鏑馬といった、より高度で特別な技術を学べる特別講習も
開催しています。

稽古風景 

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行事

伊勢神宮参拝昼食

忘年会

ビアガーデン

納涼会

花見

刀剣勉強会

冨岡刀匠鍛刀場見学

お伊勢参り

真剣講義

交流会

納涼会(鵜飼)

BBQ

花見

関鍛冶伝承館

日本刀古式鍛練見学

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武道ではなく武術を‼ 失われた「術」を求めて

「失われた術」とは、単に過去の技法が忘れ去られたというだけでなく、武術がその本来の目的であった「実戦」から離れる過程で、見過ごされ、軽視されてきた本質的な要素を指します。
具体的には以下のような点が挙げられます。

◎実戦における即応性: 形稽古や型稽古は重要ですが、実際の戦闘では常に状況が変化します。
相手の動き、間合い、力の流れを瞬時に見極め、最適な「術」を繰り出す能力は、現代の武道では軽視されがちです。

◎身体運用の奥義: 古流武術には、現代の解剖学や運動生理学では説明しきれないような、高度な身体運用法や身体感覚が存在しました。
重心の操作、力の伝え方、無駄を削ぎ落とした動きなどは、文字通り「術」と呼ぶにふさわしいものでした。

◎相手を制する「間」と「機」: 物理的な技だけでなく、相手の心理を読み、一瞬の隙や機会(機)を捉え、最適な間合い(間)で攻撃を仕掛ける能力は、武術の真髄でした。これは単なる技術ではなく、研ぎ澄まされた直感と経験に裏打ちされたものです。

◎状況判断と応用力: 複数の敵、不整地、武器の有無など、様々な状況下での対応能力も「術」の一部でした。
型に囚われず、状況に応じて柔軟に技を変化させる応用力が求められました。 

「術」を求める意義 

失われた「術」を求めることは、単なる古き良きものへの郷愁ではありません。
現代においてその意義は多岐にわたります。

◎武道の本質的な再認識: 「術」を追求することで、武道が本来持っていた実戦性や身体操作の深淵さに触れ、形骸化された稽古に新たな意味を見出すことができます。

◎身体能力の限界への挑戦: 古流の「術」には、現代人が忘れかけている身体の可能性が秘められています。それを探求することで、より効率的で、より強力な身体運用法を習得できる可能性があります。

◎自己防衛能力の向上: 平和な時代だからこそ、いざという時の自己防衛能力の重要性は増しています。「術」を学ぶことで、万が一の事態に備える実用的な力を養うことができます。

◎精神性の深化: 「術」の探求は、単なる技術習得に留まらず、自身の内面と向き合い、集中力、洞察力、決断力といった精神性を高める道でもあります。